昭和45年4月21日      夜の御理解



 おかげを頂いて一つ、本気で万事にご都合、お繰り合わせを頂いて行かなければ、立ち行きません。それはね、鍋の中のどんこでもどじょでもどうかなるじゃないかと言う、まぁこれは投げあり的な表現がありますよね、この辺では。どうとかなるが。成る程どうとかなろうけれども、そのなり方がね、私は有り難いなり方にね、まぁなって行くところに信心があると思うんですよ。ですから万事に御都合、お繰り合わせを頂いてですねおかげを頂いていかにゃならん。
 今日あの、今日見えとった方はご承知のように、ちょっとお客さん(おてて?)おりましたから、客殿でお食事させて頂いて、ほん半ばに伊万里の竹内先生のところから、竹内先生から電話がかかってから今日正式に市長、市長当選通知状、と言っ、通知状。当選の表彰のようなものをね、今日正式に受けたから、改めてお礼申し上げてくれって、それけその事お礼申し上げたいから親先生に(とだったから?)呼びに来ましたんですよ。
 呼びに来ましたら、あの、丁度豊美が何処にか出かけるようにしとりますもん、けんあのー、何事ね、って言ったら今善導寺から月次祭おかげ頂いて帰ってまいりましてね、そのいちおさんが、高橋さんの車を借りて、どっかその辺まで行きたいっち言うてから、言うなら一緒に行くってこう言いますもん。
 ああそうねって、えー、言うたもんのですね、もうこの頃私がそのお金は、もう一々その経理方からもらわなければ、ならないよる。もう全部、言うなら鍵は繁雄さんが握っておられる、その金は経理に渡され、そして銀行に渡される。というて今日も、そういう風に銀行に渡した後でございましたしね、まぁ金の4、5千なっとおこつかいやろうてない、やらなきゃ、やらなければあの人達も、慎ましい、言わば生活しておるのだから、こちらへ(終わってきょうらいは?)どうかしてやりたいと言う気持ちがあるんですけれどね。まぁ4、5千円でもやりたいなぁと、思うておったんです。
 そしたら今日はここに現金でですね、丁度6千円あるんですよ。それをあの、今日全部締め切って、あのお初穂全部してしまわれてから、私はそれを、あの知りませんでしたけれども、あの何か、誰かがお米のお供えをさして、という金、久富先生が預かってあるあれでね。でそれでそれを、それから何千円か出された余りがそれけん6千円ある。ほんで言うならば、もう一応お供えしとるけれども、その(ちょうみんなに?)あがってもらえっちいう訳なんですよね。(せおこで?)現金では。
 はーこりゃこれを、あの、なら頂てから…。言うようにですね、もうその辺が、ちょっと間髪をいれずあの、お繰り合わせを頂いておるし、お繰り合わせ頂いただけではいかん、ここにお金がなからなければ、それも出来ませんしね。そういうその、お繰り合わせ。それから、本当に、もう神様のお働きというね、御都合、お繰り合わせというものが頂けれるために、何時も自分の心の中に、その有り難いことを有り難いこと、とこう有り難い事を心の中からね練り出させて頂くような良いおかげを頂かなきゃ、そういうおかげをキャッチしきらん。ね、あっても。
 それがちょっと互い違いであったら、あしもうた、行った後じゃったな。もうこりゃしもうたのと言う事になって来たりするでしょうけれどもね、そして私は昨日の愛子の話を聞かせてもらって、昨日楽の、その篳篥のおかげを頂いておりました、宮原、あの先生が見えてから、あの直ぐ愛子が、もう何年も前に、これは本部の楽長が所望されたという程しに久留米に大笛の名手であると同時に、その大笛横笛ですね、横笛と篳篥があるということ聞かれてから、あの所望されたわけです。ご本部から。けどもこれだけは私の命だからというて、広島さんという楽長さん、楽員さんが、それを持ち続けておった人がですね、今後この笛やら篳篥を使いこなせれる人は、おそらくもうその当時の椛目でしか出来まいと言うてですね、あのお供えをされておられた、もう十年にもなりますでしょうか。
 それをそのまま直してありましたもんですから、それをその宮原さんにけど見て頂いたらしいんですよ。それであーもう、話は聞いておった素晴らしいと。その宮原さん達のいわゆる一つも二つも前の時代の楽器でございますからね。それでその、それを出してからあの、吹かれましたそうですけれども、全然音が出らない。
 だから不思議なことじゃあるでしょうが。形だけは一つも変わらんけれどもですね、その(ふねのね?)が止まってしまっておるという事ですよ。これ、私共があの楽器は全てそうです、三味線なんかでも、いい三味線ならいい三味線ほど弾き手の良い人に弾いてもらわなきゃいい音はでません。もうしばらく弾かんでおりますと、私共が(ばちだてで?)2、3時間くらい、2、3時間、2時間くらい全然弾きますとですね、それから音が出て来るです。
 可笑しな事、不思議なことですよね。それがその、その使よらなければいけないのですね。私共の心でもですね、そういうもう有り難い事を有り難い事とこう、自分の心を使い続けよらんとですね、良い音色は出てこない。
 今朝からも、そのことを皆さんに、何人かに聞いてもらったんですけれども。朝の例えば御理解などは、そういう有り難い有り難いと言うことを、言わば吹き続けておるから、まぁああいう、良い音色的な御理解がここでは頂けるのじゃないかと、それを切ったらもうだめだと、言うようなことを申しましたがね、そういう心の中にお繰り合わせを頂いておるからです、私は形の上においても、なら今日豊美の、私の事でも、万事にお繰り合わせを頂けれるんだ、という風に思うです。
 これはもう楽器だってそうなのですから、ましては信心を忠実するとか、心を、例えば信心には向けとる、おるようであっても、まぁそれを弾きこなせよると、使いこなせよる、何時も有り難い方へ有り難い方へと使おうという精進、努力をしよらなかったら、いざと言う時良い音色は出てこないと私は思うですね。どうぞ。

梶原 佳行